ラスベガスから帰った後、私たちはそこで起きたことや仕事の成果でホクホクした気持ちでした。
帰宅した翌日はスーツケースの中身を片付けながら、3時間の時差とフライトの疲れもあって昼寝をすることにしたのだが、そこでとんでもない夢を見たのです。
それが2024年の冬至でした。
通常、夢の中では比較的自由に動いていますし、自由に考えています。
客観的視点も、夢の中の登場人物としての主体的視点も持っています。
歌手や創作活動をしていた頃は夢の中でもリハーサルをやったこともあるほどです。
夢は卒業式のアフターパーティーという設定で、皆で自作のファッションショーをやるという奇抜な内容でした。
私は外語大の韓国語学科を卒業しているので、韓国にちなんだスタイリングをするという課題です。
どうやら、モデルの仕事と大学の記憶や経験がごちゃ混ぜになったようですね。
私は韓服と雪の女王みたいなものを合わせたスタイリングを準備したようですが、クオリティが良くありません。
実際にそんなスタイリングはしないぞ、と思っていました。
ヘアメイクの道具も粗悪なもので、毎日のメイクですらもっといいものを使っています。
そもそも鏡に写っている私は、冴えない表情の、肌もガサガサなのです!
一体何が起きているのだろうと疑問になりました。
卒業式が終わると皆、思い思いに楽屋に行き、準備を始めます。
まずは時間がかかりそうなヘアから取り掛かりますが、全然セットできません。
不器用すぎて、手元が全然捗りません。
そうこうしているうちに会場はショー用に転換しており、そこになぜか旦那さんが見に来ています。
とても期待してニコニコして待っています。
しっかり準備しなきゃいけないのに、焦るばかりで何も作業が進みません。
すると、クラスメイトに黒人の背の高い、スタイル抜群の女性がおり(実在しない)、その女性は豪華絢爛な衣装を用意し、ヘアメイクも着々と進めています。
彼女の衣装が素晴らしいので、生徒たちも群がって口々に賞賛します。
私も気になって見に行くと、それは見事なもので、まさにファッション。
オートクチュールのような圧巻の衣装です。
彼女はとても得意げに、古代朝鮮の歴史的に有名な占星術師(これも、実在しない)からインスピレーションを得たと話していました。
ヘアメイクもほぼ完成されており、自信満々に歩いてみたり、ポージングの練習をしておりました。
それはそれは、美しい姿でした。
私も鏡前に戻り、一生懸命支度をしようとします。
でも一向に進まないし、より素晴らしい衣装やコンセプトで用意した彼女に勝てるわけがなく、どんどんやる気をなくしていきます。
勝ち負けではないはずなんですが、ショーの話題をさらうのはきっと彼女だろうし、ちんけな自分は笑いものになるだけです。
スタッフが準備できた人から舞台裏に集合するように声をかけてきました。
皆、楽しそうにゾロゾロと移動します。
でも、私はまだ髪に絡まったカーラーに四苦八苦しています。
そして、とうとう楽屋には私だけ取り残されてしまいました。
会場からはノリのいいBGMが流れ、生徒たちの素晴らしいショーに拍手が送られています。
卒業記念でもあるので、親たちが花束を持って生徒たちを迎え入れています。
私はすごすごと諦めて、道具や衣装を片付け、静かに楽屋をあとにしました。
楽屋の入り口には心配そうに旦那さんが立っていました。
花束を手に。
どうしたの?ショーになんで出てこなかったの?訊ねてきます。
私は泣きながら旦那さんに抱きつき、ごめんなさいと何度も謝っていました。
背中をさすりながら大丈夫だよ、お家に帰ろうと優しく語りかけてくれ、二人で帰路につきました。
花束に見合わないみすぼらしい、情けない私でした。
そこで目が覚めました。
まずもって、あり得ね〜!です(笑)
私のライブやステージを見たことがある方は、準備と段取り、進行に余念がないことをご存知だと思う。
余念がないというか、その作業が楽しいのです。
ステージでスポットライトや歓声を浴びる快感よりも、充実感を得られるのが「仕込み」と言っても過言ではない。
そんな私なのですから、本当にあり得ないし、過去にもそんな経験ないのです。
どんなに新人の頃でもありません。
あまりのあり得なさに、なぜこんな夢を見たのか祈ったのですが、全く意味がわからない上に、とても不愉快でした。
怒りすら覚えていました。
起きてからすぐに旦那さんに夢の内容を怒りで興奮しながら話しました。
旦那さんもOh, no...と悲しそう。
ますますありえない!と怒りながら、ハッと気がついたのです。
なんと、私は自分の準備にこだわるところに自信を持っているのだ!
だからこんなに怒るんだ。
天は変な夢を見せやがって(笑)、こんなの私であるはずがない!と。
その瞬間、ブワッと自分を認められないリアルな自分を感じさせられました。
私はとても自分を褒めるのが苦手な人です。
達成感もありません。
すぐに反省しているし、できなかったことを重箱の隅を突くように探します。
それがわかっているので、時折わざと意図的に自分を評価する言葉を発するのですが、どうもしっくりこない。
観客やファンが作品を誉めてくれても、「ありがとう」と反応しますが、本心では「まだまだだ」「はい、次」とそればかりです。
下手したら、過剰に誉めてくれているとさえ思っています。
音楽もモデルも、何もできなかったと思っています。
中途半端のアマチュア。
有名人にもなれなかったし、ヒット曲も作れなかった。
特段美しいわけでもない。コンプレックスだらけ。
高学歴のくせに社会にも、精神世界の仕事も何にも役に立っていない。
誰も救えていないし、誰の力にもなれなかった。
クソみたいだな、と思っています。
そんな私が、なんと怒るほどに自分の才能を主張したのです!
それから年末年始にかけて、夢の内容と気づきを行ったり来たりしながら、少しずつ消化してきました。
実は夏過ぎくらいから、一つ一つとブロックや執着などを癒すような出来事やメッセージをもらい、ずっと自分と向き合っています。
傷口に塩といった具合です。
その中でも冬至の夢はかなり強烈で、悔しくて、信じられませんでした。
あまりに衝撃すぎた反動で、自分を蔑んだ扱いをするのを心底やめようと思えました。
あり得ないほど不出来な私を作り上げて見せて、あなたはこんなふうになりたかったのか?と問いかける夢でした。
それからひとつずつ自分の良くできることをあげて、消化しています。
不思議と昔は否定した自分の才能や努力の結果も、今は納得して受け入れられるようになってきました。
まだまだ時間はかかるとは思うのです。
でも、やっと今になって大きな氷が、まるで私の最後の砦のような氷が溶け始めました。
小中学生の頃、表彰された絵や書道、オール満点の通知表や100点や90点以上のテスト結果を誇らしげに持って帰ったのです。
最初はみんな、すごい!とかよく頑張ったねと誉めてくれるのですが、だんだんそれが何回も続くと慣れてきて、見向きもしないようになりました。
むしろ
ー 頭がいいから100点は珍しくないでしょう?
ー 勉強しかしてない人生って虚しくない?
ー インチキしてるんじゃないの?
ー 先生に媚びるのがうまいだけ。
ー 子供らしくしたらいいのに。可愛くない。
そんな声も聞こえていました。
なぜ頑張ったら、誉めてくれないのですか?
なぜうまくいったら喜んでくれないのですか?
私はこんなにあなたの幸せを願って、喜んでいるのに!
悔しくて、悔しくて。
人間が大嫌いになりました。
憎い、憎い!
人間が憎い!
みんなと同じようにしなくちゃ、私だけが苦しんでしまう。
私も人を蹴落とすようになりました。
うまくいっている人を妬みました。
私を地獄に落とした人間と自分を恨み抜きました。
たくさん神々に唾を吐きました。
疲れました。
恨みながらも、もがいて、少しずつ積み重ねたご褒美なのでしょうか?
胸を締め付ける憎しみも悲しみも、冬至で蘇り、思い出しました。
まだまだズルズルと思い出しますよ、きっと。
最近は苦い思い出の中に、光を帯びた自分を徐々に思い出します。
こんなことは今までなかったですね。
時間をかけて、自分を取り戻します。
変な夢でしたね(笑)
Shinyong the Chameleon
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